シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019

2019.4/27(sat)▶5/19(sun)

アーツ千代田3331

SPECIAL

未来のリハーサル ~シド・ミード×渡辺繁40年の軌跡~ 第1回 天才フューチャリストとの邂逅

Downtown City Scape 『ブレードランナー』 © Syd Mead, Inc. © 1982 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.

いつの時代も、熱狂的に迎えられたものが、必ずしも歴史的な評価に耐えうるとは限らず、時間をかけてようやく正当な評価を勝ち取るものがある。その年の映画界は、老若男女から涙を搾り取る「異星人と少年の友情譚」とともに明けた。若干35歳のスティーブン・スピルバーグ監督作『E.T.』は、1983年の正月映画として82年暮れに公開されて社会現象を巻き起こし、配給収入96億円を突破した。
 歴代興行ランキングトップを記録した甘く感傷的なSFファンタジーの陰で、前年夏に公開されたSFノワール『ブレードランナー』は知る人ぞ知る映画になっていた。ハリウッドに乗り込んだ才気あふれる英国人監督リドリー・スコットが美意識を全開させて撮った問題作は、アメリカのみならず日本でも興行的な惨敗を喫したのだ。

『ブレードランナー』の衝撃

しかし『ブレードランナー』は、鑑賞した少数の観客を打ちのめし、その革新性が語り草となってじわじわと浸透していった。寿命制限が設けられたレプリカントと呼ばれる人造人間の叛乱。外見上は人間同然の彼らを判別し、始末する使命を帯びた専任捜査官ブレードランナーの捜索を縦軸とする近未来ハードボイルドには、様々な魅力的要素が凝縮されていた。絵画やグラフィックデザインを熟知するリドリー・スコットが創り出した光と闇の交錯するルック。『2001年宇宙の旅』の視覚効果を手掛けたダグラス・トランブルが最先端の特撮映像で描き出したディストピア。都市を覆う汚染された大気の中を漂うヴァンゲリスのサウンド。そして、フィリップ・K・ディックの小説を原作に、人間とは何かと問いかける深遠なテーマ。

 Street Arcade© Syd Mead, Inc.   『ブレードランナー』  © 1982 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.

Street Arcade© Syd Mead, Inc.
『ブレードランナー』© 1982 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.


 際立っていたのが、美術だ。暗鬱とした「2019年のロサンゼルス」は、それまでのSF映画にあったような、テクノロジーの進化の先にたどり着くであろう未来像とは明らかに異なっていた。それは、80年代初頭当時の現在から地続きのまま、アジア圏の文化に侵食されカオスと化した欧米文明の行く末を、比較文化論的に描き出す斬新極まりないものだった。昆虫の胸部のように弧を描く流線形のボディを持ち、垂直離陸しながら前輪を前方に突き出して空を飛ぶクルマ「スピナー」を始め、小道具や建築物から都市全体のイメージに至るまでのあらゆるデザインをした人物が、ビジュアル・フューチャリストとしてクレジットされたシド・ミードである。

Spinner Down Shot© Syd Mead, Inc.   『ブレードランナー』  © 1982 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.

Spinner Down Shot© Syd Mead, Inc.
『ブレードランナー』© 1982 The Blade Runner Partnership. All Rights Reserved.


 1933年生まれのシド・ミードは、ロサンゼルスのアートセンター・スクール・オブ・デザインで学び、100年に1人の逸材とまで言わしめ、60年代にフォードを起点としてUSスチールなどのカーデザインを中心に、インダストリアル・デザイナーのキャリアを始めた。工業デザイン界で勇名を轟かせていた存在が、一般に知れ渡るようになったのは、個人画集『SENTINEL(センチネル)』がアメリカで発行された79年以降のこと。リドリー・スコットは、掲載されていた「雨に濡れたハイウェイを走る車列の情景」(CITY ON WHEELS)に魅了され、ミードにオファーした。
CITY ON WHEELS©️Syd Mead, Inc.

CITY ON WHEELS©️Syd Mead, Inc.


 映画の仕事は、それ以前に劇場版第1作『スター・トレック』『トロン』にコンセプトデザインを提供していたが、世界観そのものの創造を担った『ブレードランナー』によって、ミードの実力は遺憾なく発揮された。当初は車両数台のみを描く予定だったが、クライアントから依頼された“製品”ならば、誰がどのように使うのかというビジョンを考案してきたミードは、未来の車と都市と人との有機的な関係をも描いて、スコットに採用されることになった。その結果、美術監督協会から職域を侵す行為として訴えられることにもなってしまうのだが。掟知らずの外国人監督と異業種コンセプトデザイナーだからこそ成し得た、過激な映画だったのだ。

Enterprise & V'ger entity©Syd Mead, Inc. © Paramount Pictures. All Rights Reserved.

Enterprise & V’ger entity©Syd Mead, Inc. © Paramount Pictures. All Rights Reserved.


 わが国で逸早くシド・ミードの仕事を紹介したのは、自動車デザイン専門誌『カースタイリング』だ。76年にカリフォルニアの自宅を訪ねてインタビューも行っている。そして、SFビジュアル雑誌『スターログ日本版』(編集発行:ツルモトルーム)が、『ブレードランナー』公開後に繰り返しミード特集を行った。83年春に東京・原宿のラフォーレミュージアムで開かれた「21世紀のカーデザイン展~未来を透視する天才シド・ミードの世界」を企画したのも、アートディレクター鶴本正三が主宰するツルモトルームだった。鶴本は、ラフォーレミュージアムの企画プロデュースも担っていた。高額な『センチネル』が都内の洋書店で8000部も売れていたと言われる実績に裏打ちされ、潜在的ニーズを踏まえたツルモトルームのプロデュースは、ミードの顕彰と『ブレードランナー』のカルト化に大いに貢献した。

ビデオレーベル創設とSFX専門誌創刊

『スターログ』を愛読し始めて洋書店に通うようになり、『センチネル』は大学時代の79年に銀座のイエナ書店で購入していました。もちろんラフォーレミュージアムで開かれた企画展にも足を運んでいます」と振り返る渡辺繁は、『ブレードランナー』とは真逆ともいえる、ミード作品本来の希望ある未来にも魅せられていた。
 83年3月、バンダイ傘下のポピーに入社して2年目の渡辺は、グループ会社7社の吸収合併によって、バンダイのフロンティア事業部に配属されることになった。ポピーで『リアルホビー』を開発した渡辺は、「怪獣復活計画」の展開を道半ばで断念することになり忸怩たる思いがあった。映画・アニメ・特撮に滅法詳しい“新人類”が、玩具メーカーにとって全く未知の領域である新規事業に抜擢されたのだ。
 それは、ビデオ店のアンテナショップを経営していたバンダイが、自らビデオソフトメーカーを立ち上げ、レーベルを創設する任務だった。と同時に渡辺は、部内の出版課において適任者不在だったアメリカの雑誌『シネフェックス日本版』創刊の編集統括を志願した。70年代後半のSF映画ブームを契機に、アメリカにおけるスペシャル・エフェクツの略称をコピーのように当て、ハイテク制御の特撮映像を日本ではSFX(エス・エフ・エックス)と呼ぶようになっていた。映画の舞台裏を覗く機会が少なかった時代に、特撮工房をリポートし、作り手の声を届け、撮影技法を詳説するSFX専門誌『シネフェックス日本版』は、映像クリエイターや映画ファンのバイブルになっていく。

 当初、この雑誌の翻訳出版企画をバンダイに持ち込んだブローカー的な人物が、編集作業も請け負っていたが、映画技術の専門用語に難渋するなど制作進行が滞っていた。渡辺は事態を改善すべく、采配を振るった。
「用語監修のため、その分野に詳しい聖咲奇さんと高貴準三さんに加わっていただきました。それでも翻訳版の進行自体に問題があったので、編集プロダクションを翔ブラザースに変えて、稲田隆紀さんに編集長に就いていただき、2号目以降は態勢を整えました。シリーズ完結編として公開される『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』を創刊号特集として夏に発行し、冬には『ブレードランナー』特集号を出すことに決めたんです」
 公開前に渋谷パンテオンの試写で観た渡辺もまた、『ブレードランナー』に衝撃を受けた1人だ。
「旅立つ車中で終わるナレーション付きのバージョンだったので救われた気がします。デッカード・セダンに乗り込み、光の中を進む2人のシーンまではあったのですが、突然、緞帳が閉まり始め、音楽が流れたまま終映。エンドロールは白身のプリントで、シド・ミードのクレジットは確認できませんでした」
 最初の公開版は監督が望まぬ形だった。スタジオ側が“わかりやすく”編集したものが公開された後、ビデオ産業の隆盛とともに、監督の意に沿う方向で、いくつものバージョンが徐々にリリースされていったという事情も、『ブレードランナー』が時間をかけてカルト化した要因のひとつであることは間違いない。

シド・ミード画集出版の可能性

 バンダイのフロンティア事業部に、シド・ミードを愛してやまない渡辺繁という熱き若手社員がいる。そう聞きつけて、83年晩秋、ある女性が訪ねてきた。元ツルモトルームの社員だった市川実英子である。市川は、『スターログ日本版』をベースに企画展開した「国際SFアート大賞」の協賛をバンダイに取りつけていた。「21世紀のカーデザイン展」を開催した際、シド・ミードの招聘に携わり、来日滞在中にアテンドした人物でもあった。
 フリーになり、ミードに見込まれて代理人になっていた市川は、ある仕事を請け負っていた。それは、日本でシド・ミードの画集を出版するというミッション。ミードは、自らレイアウトした見本版を制作して市川に託した。その目的を達成すべく、市川は伝手を頼りに出版関係者を訪ねて回っていたのだ。


未来のリハーサル ~シド・ミード×渡辺繁40年の軌跡~
▶︎ 第2回 三位一体プロジェクトの作品集
▶︎ 第3回 ミード・ガンダム誕生の舞台裏


文◉清水 節(しみず・たかし)
1962年、東京都出身。映画評論家・クリエイティブディレクター。日藝映画学科中退後、映像制作会社や編プロ等を経てフリーランス。映画雑誌「PREMIERE日本版」「STARLOG日本版」等で編集執筆。映画情報サイト「映画.com」「シネマトゥデイ」、映画雑誌「FLIX」等で執筆中。ニッポン放送他に出演中。海外TVシリーズ「GALACTICA/ギャラクティカ」日本上陸を働きかけDVDを企画制作。円谷プロの新プロジェクト「ULTRAMAN ARCHIVES」で企画制作。遺稿集「眞実/成田亨 ある芸術家の希望と絶望」編集執筆。著書に「いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命」「新潮新書 スター・ウォーズ学」(共著) 。WOWOWのドキュメンタリー番組「ノンフィクションW/撮影監督ハリー三村のヒロシマ」企画構成でギャラクシー賞、民放連賞、国際エミー賞受賞。